2013年 08月 03日
夏休み今昔 |
そのメカニックな姿同様、機械的な規則性で鳴いていると思っていた蝉だが、じっくり聞いてみるとたまに音を外したり詰まったりもするらしい。ミーンミーンミーンミミッ、ミーンミーンミーンミーンミーンといった具合に。今朝はそんな蝉サウンドで目が覚めた。東京にいながらにして、一気に宮崎で過ごした子ども時代の夏休みにタイムスリップした気分だ。学校へ行くよりも早起きし、日没まで何をしていたんだっけ?と思い返してみると、小学校時代の夏休みは、ラジオ体操・川・祭だけのシンプル構成だった気がする。地味だが、ラジオ体操というのは私の中で結構わくわくする夏休みイベントであった。起きたての馴染みの面々が方々からダラダラと集まり、地区の大人から、細めの竹で作ったらしい雑な○だけのハンコをもらう。たまにスイカやアイスの差し入れがあったりもした。ラジオ体操から帰って朝食をかきこみ、夏休み子どもアニメを見終えると勉強をしているフリをしながら漫画を読み、早めの昼食を済ませて川へ向かう。河童よろしく川で泳ぎまくり、水着着用のまま遊びほうけ、夕方アブとかブトにまとわりつかれながら帰宅。夕飯を食べながらテレビをみて寝るという日々。ラジオ体操と川が日常で、スポットで祭(時々キャンプ)が入ってくる感じだ。とりわけ、お盆期間の祭はやたらと盛り上がるので、子どもらも駆り出されて地区の鎮守の社を飾るものを作らされたり、大人の宴会場になる家(地区で持ち回り)で宴会準備の手伝いをさせられたり、結構な労働を強いられながらも、祭がはじまると踊りや地味な花火のほか、酔っぱらって絡んでくる大人への逆襲や墓場探検など、なかなかスリリングなコンテンツを楽しんだものだ。今にして思うと、知力体力ともに重要な成長期に、学力的には実りはないが、基礎体力を養うには理想的な夏休みを過ごしていたように思う。おかげで、ろくな食生活でもないくせに体力だけはある。足腰も丈夫だ。こんな子ども時代だったので、姉の中で私は未だに“健康だけど勉強できない妹”として記録されているらしい。先日、また自分の子どもの受験に関する悩み相談の電話がかかってきた。前回同様、声優になりたいと言って困る云々の話をしながらも、「フーちゃん(=私の家族内愛称)はさぁ、どれくらい勉強できなくて○○高校受かったんだっけ?」と、私のプライド度外視の質問をなんの悪びれもなく投げかけてきた。私にだって無用の長物ながら、それなりに積み上げてきたものがあるんだけどなぁと思いつつ、私もいい大人なので、初めての受験を迎える娘を持つ母親の不安を慮って「できないなりに受験前の夏休みくらいは勉強して受かったから、まぁ大丈夫なんじゃない?」と嘯いてみせた。さらに偉そうに、「漫画だらけのあの勉強部屋はよくない。夏休みだけでも集中して勉強できる環境を作ってあげるべきだ」とも。姉は、“健康だけど勉強できない妹”からのリアルな進言にひどく腹落ちしたらしく、「そうだよね!よし、今年の夏休みは私も協力して○○(娘の名前)と一緒にがんばる!」と俄然やる気になったていた。姉ちゃん親子、受験がんばれ!遊びほうけ組の不良妹叔母さんはライブ三昧の夏休みを過ごしつつ、幕張方面から大きなハートでエールを送るよえ〜くっすえ〜る〜
by francesfarmer
| 2013-08-03 09:30