2010年 07月 25日
内容不問の読書感想文 |
装丁の絵が気に入って買った文庫本を読んだ。
絵は石橋優美子さんっていう方の作品らしい。
好きだなーこの絵。
中身は男子が主人公の短編3本。
作者が長崎出身ということで、うち2本は長崎弁が多用
されていた。
長崎弁多用の小説といえば、村上龍の「69」もたしか
そうだった。私なんかは県は違えど同じ九州人なので
自然と読みすすめられるのだが、九州から遠い地方の
人は結構「は?」と思う表現も多いんじゃないかと思う。
たとえば「ほんと、ぜんぜん味のせん」という短いセリフ。
「ぜんぜん」という打ち消し表現を続ける副詞がついている
のでなんとなく分かるかもしれないけど、
「ほんと、ぜんぜん味がしない」という意味だ。
この場合、「の」という格助詞の使い方が古語のままである
ことが、短いセリフながら分かりづらくなっているのだと
考えられる。
このように、九州には格助詞を古語のまま使う傾向がある。
以前、宮崎に帰省した際「お父さんが湯のみとってくれんね」
と言われてすごく新鮮に感じたことがあった。
「お父さんの湯のみをとってくれないか」という意味なのだが、
これも見事に所有格の「の」に古語の「が」が使われている。
方言というか、古語がいまだに使われている場合が多い理由
については、学生の頃「全国アホ・バカ分布考」を読んで妙に
納得した記憶がある。
古来の日本の都=京都を中心に地方に、言語はゆっくりと
地方に拡散浸透していくものらしい。だから、地方には古語が
たくさん残っているのだと説いてあった(たしか)。
あまり適当なことが言えないので、柳田國男の「蝸牛考」でも
読んで勉強しなおしてみようかと思う。
吉田修一のほかの作品そっちのけで。
by francesfarmer
| 2010-07-25 19:11
| 非エリア種③読み物