2015年 11月 18日
ださい広辞苑考 |
言葉の持つ本来の意味に迷ったとき、最終的に頼るべきはやはり広辞苑だと思っている。検索窓に軽快に打ち込むだけで、玉石混淆ながらも数多の情報がさっと出てくるGoogle先生とは異なり、漬物石さながらにずっしりと重く、繙くのに時間も労力もかかるのに答えは一つという明快な広辞苑先生。私は学生時分より愛用しているこの第四版が未だに手放せない(手放す気もない)。とはいえ、職業柄インターネットに頼らないと日々のタスクがこなせないので、仕事では専らGoogle先生に世話になりっぱなしであるのだが…。前置きはさておき、最近、私の中でとある言葉の意味、というかそのニュアンスについて改めて考えを巡らしているものがある。その言葉は「ださい」。広辞苑によると「野暮ったい、洗練されていない意を表す俗語」とある。それ以上でも以下でもなく明快である。ただ、言葉そのものの表記・表音は広辞苑先生の言うとおりにせよ、言葉というものは時代とともにニュアンスが変化していくものだと信じている私としては、いまの時代における「ださい」という単語は、広辞苑先生の表す意味以上の言葉的価値を持ってしまったように思われる。野暮ったい、しかしそれが逆にクールなど本来の意味からはありえないのだが、インターネットが情報のインプット-アウトプットのインフラとして、プロアマ不問の表現手段として定着した現代では「ださい」と「クール(あるいは個性的)」は紙一重なのであろう。自分は好んでいるが第三者から見るとださい、あるいは自分はださいと思っていても第三者から見るとクール、みたいな。結論、何をよしとするかは“あなた次第”なのだな。「ださい」という言葉を再考するつもりが、インターネットのせいで図らずも壮大なテーマになってしまって気まずいことこのうえない。こんなときこそ、原点回帰で広辞苑先生に頼ってみようかと思ったのだが、残念ながら私愛用の第四版にはまだ「インターネット」が載っていなかった。おそらく第五版、第六版あたりで「インターナショナル」と「インターハイ」の間に首尾よく収まっているものと思われる。いい加減、手元の広辞苑先生をアップデートしなければならない時期なのかもしれない。
by francesfarmer
| 2015-11-18 00:10